ながさきのへそ (長崎見聞録)
★生まれ育った長崎を再発見しようと、いろんな角度から切りこんでみました。あんまり人にゃ見せんばってん、大事か「へそ」。長崎のへそば、ちょっこっとばっか、お見せしましょか^^ ≪長崎おもしろトピックス≫
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

300年前の職人の様子を描いた「職人尽くし」。
県指定有形文化財の彫刻 職人尽くし』。

この「職人尽くし」がある「松の森神社」は、菅原道真公を祭る長崎の代表的な天満宮だ。もともとは諏訪神社があったこの場所に1656年に今博多町から移転してきた。1713年の大改修の祭に奉納されたのが、この30枚の彫り物。彫り師は、御用指物師「喜兵衛」と「藤右衛門」。絵師は長崎奉行所絵師小原慶山とされている。もともとの下絵は平安時代末頃からはじまった「職人歌合」の系統である「職人尽くし絵」から模写されたのだと言われている。

『風雨に晒された彫り物』

近くなので、写真を撮り行って、複雑な思いになった。
内容は素晴らしく、当時の職人風俗の様子を30枚の板(縦30.3cm横175cm)に浮き彫りにし、本殿瑞垣の欄間に飾ってある。
だがあまりにも普通に、風雨に晒されてそれはあった。300年という年月は、無残だ。ほとんどの彩色は剥がれ、彫り物自体もかなり痛んでいる(もちろん何度も修復はされいるが)。
*彩色は、(1832)に、当時の長崎第一の画家であった石崎融思が修繕のため色づけしたものである
と説明看板に書いてある。

768.jpg

一時期は、プラスチック板で保護されていたらしいのだが、逆に虫食いと湿気の被害で取り外され、1987年(昭和62年)に修復された経歴がある。
こういった時代を超えて存在する建物や美術工芸品をみていつも思うのだが、時の経過も確かに必要なのだが、なんとか保護できないのだろうか。

772.jpg

こんな感じの彫り物(医者.製薬人の図の一部)。
医者.製薬人の図

これは菓子製造の図の一部。
菓子製造の図

人形制作及び楽器の仕上げの図の一部。
人形制作及び楽器の仕上げ

これらは、一枚の絵図の一部なので、全体にはもっといろんな状況が描かれている。
◇とりあえず、題名だけ記載(2枚が入れない場所で、一枚だけのタイトルが不明)。
漁撈の図/祭の行列 童子の獅子舞/紙製造の図/竹細工場の図/菓子製造の図/医者.製薬人の図/彫刻師.真田紐製造の図/瓦製造の図/人形制作及び楽器の仕上げ/餅作り及び桶商人の図/傘紙製の日本帽子鏡磨/筆墨製造の図/化粧箱製造の図/団扇製造の図/屋根葺の図/衣装縫師の図/莚製造の図/造船の図/刀槍製造の図/稲植えの図/弓矢.鞍製造の図/鎧 弓仕上げの図/機織染屋の図/祭器造りの図/建築用機師の図/琴 琵琶製造の図/碁盤製造の図/描画師の図/鍛冶屋の図/?/
『文化財の保護』

私が若い頃は、長崎の南山手や東山手には、洋館がたくさん残ってた。どれも由緒あるものだったのだが、県の文化財指定になると、補修や保存に規制が派生する。しかし、保存に対しての助成金や直接的な保護は皆無? 当然朽ち果てるしか方法はなく、沢山の貴重な遺産が消えていった。
国宝指定となると、それなりの保護があるのだろう・・・。

かといって、グラバー園にあるいくつかの建物のように、元あった場所から解体され、補修されて移転した建物も、まったく風情を失くしている。なんら映画のセットと変わらないではないか。
それぞれの場所にある事で意味があるはずだと思うのだが。
「・・・のあった場所」という石碑ばかりの長崎。もうすこし先人たちの残した遺産を大切にしてはいかがなもんだろうか。文化の過疎地と陰口をたたかれないためにも。

ということでぜひ「職人尽くし」を朽ち果てさせないために、まずは大勢の方に現物をご覧になって欲しいもんです。そして、それが保存運動へとつながるはず。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。