ながさきのへそ (長崎見聞録)
★生まれ育った長崎を再発見しようと、いろんな角度から切りこんでみました。あんまり人にゃ見せんばってん、大事か「へそ」。長崎のへそば、ちょっこっとばっか、お見せしましょか^^ ≪長崎おもしろトピックス≫
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中島川石橋群の変貌
眼鏡橋で有名な中島川』。

長崎大水害後の改築バイパス工事もやっと終わり、川沿いのプロムナードも完成しつつある。水害から、なんと25年の年月が過ぎているが、ようやく市民の憩いの場として動き始めた。

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▲両岸に川の水の量を調整するバイパスが造られた。

川べりにも降りる事が出来、橋を下から眺めながら散策できる散歩道も完備されてる。甲羅干している亀たちも気持ち良さそうだ。
相変らず、ピラニアのごとき餌を求めて群がる鯉たちの映像は自粛規制。

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全長5.8kmの長崎の中心街を流れる川として、これからも年月を重ねていくのだろうが、唯一残念なのは、1982(昭和57年)7月23日の長崎大水害の時に喪失してしま

った歴史的な中島川石橋群だろう。

実は、それまでも自然の猛威で大なり小なり流失したり復元したりを繰り返していた石橋群なのだが、この長崎大水害の時は6橋が流失し、「眼鏡橋」ほか「桃谷橋」「袋橋」が一部崩壊の大打撃だった(この3つの橋は原型に復元された)。
流失した「一覧橋」「古町橋」「編笠橋」「東新橋」は『昭和の石橋』として新に設計され架けられ(4つともまったく同じ外観)、「阿弥陀橋」「大井手橋」は車が通る鉄筋コンクリートの橋として復元。

ところが、この『昭和の石橋』のデザインがあまりにそれまでの石橋とかけ離れており、過去の石橋群の風情から逸脱するものだったので、市民の猛抗議があったもんだ。おまけに、その特異な姿の為にか、段差や幅が一段づつ微妙に違い、段差を踏み外し怪我をするという事件が多発し、ご覧のような手すりがつけられた。なんでこんなデザインになったのかというと、長崎大水害の中島川の大氾濫が、石橋に流失した木や物がひっかかり、堰き止めて起こったとされているからだとか。それにしても、ここまでアーチを高くする必要があったのかどうか・・・。
建設当時は、そのひときわ違和感を漂わせていた『昭和の石橋』も、25年の月日を経て、次第に風景に溶け込んでいってるが、昔を知ってる人には残念でならない。

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▲『昭和の石橋

水害の教訓として、増水した時に水量を分散させるバイパスも設けられている(一番上の写真)。
*このバイパス工事も、最終的な左岸工事の是非で物議をかもしたが、結局25年前の計画通りに遂行。

1634年に日本最古の石橋である眼鏡橋が架けられてから、次々と川に交差する道路には全て石橋が架けられ、最多で17~18の橋があったという中島川石橋群
ほとんどは、キリスト教弾圧の旗印として続々と建立された寺町のお寺群への参道であったのかもしれない。江戸時代までは大川と呼ばれ、人々の生活に密着していた中島川。これからは、人々の憩いの場として時を刻む事だろう。

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*それぞれの橋の物語は、『橋シリーズ』で掲載する予定です。

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