ながさきのへそ (長崎見聞録)
★生まれ育った長崎を再発見しようと、いろんな角度から切りこんでみました。あんまり人にゃ見せんばってん、大事か「へそ」。長崎のへそば、ちょっこっとばっか、お見せしましょか^^ ≪長崎おもしろトピックス≫
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紫陽花にふる梅雨は、シーボルトの涙。
長崎の港に、出島が浮かんでいた頃のお話。

オタキさんが、シーボルトの日本妻になったのは17歳。
もともとは、良い家柄に生まれたが、親の商売の失敗から家族を助ける為に遊女になった。 その勝気で、義侠的な彼女に一目ぼれしたのがシーボルト。28歳の若き医者だった。
ドイツの医者だが、オランダ人と偽って渡日。その後、日本地図を持ち出そうとして国外追放となるのだけど、その間、出島で開業し、日本の医学界に多大な功績を残している。
オタキシーボルトは、遊女と客としての出会いではなく、患者と医者としての出会いではなかったろうか。日本に来て間もないのにオタキを妾として身請けし、通常一般人は立ち入る事ができない出島への出入りを自由に出来るようにとった策のようだ。2人にとっても国籍を超えた純愛物語だったのだろう。 思いも寄らない国外追放という事がなければ、幸せな日々が続いたはずだ。

国外追放となるまでには、のちに女医の先達となった愛娘、お稲オタキとの3人での出島の暮らし。
たった6年間の非恋物語だったが、シーボルトの胸には深く刻みこまれる。
国に帰ったシーボルトは、愛しいオタキの名を紫陽花に名づけ遠い異国から想いを馳せた。

ハイドランゲア・オタクサと・・。

紫陽花

鬱陶しい梅雨も、雨にうたれた紫陽花を見るたびに、淡く切ないロマンスを思い出す。 ひと雨ごとに、色を変えるのも、なんだか花にシーボルトの心が反映してるようで、しばし、見とれてしまう。

シーボルトは、その後なかなかオタキを忘れられずに、17年後に結婚するのだが、オタキはシーボルトの国外追放2年後に再婚(愛娘お稲がいたので仕方が無いかも)。
それを機に2人の文通も途絶えたのだとか。
そのお稲は、日本人初の女医になって父の面影を追う。

時を越えて30年後に再入国を許されたシーボルトと彼の妻と息子を、オタキとお稲は、誠心誠意もてなしたのだとか。

*1999年3月の日記を、ブログ用にリニューアル。

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