ながさきのへそ (長崎見聞録)
★生まれ育った長崎を再発見しようと、いろんな角度から切りこんでみました。あんまり人にゃ見せんばってん、大事か「へそ」。長崎のへそば、ちょっこっとばっか、お見せしましょか^^ ≪長崎おもしろトピックス≫
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とっぽ水の由来
ここは、「坂の力持ち」の写真の馬が登ってる階段の右下。上には「長崎四国八十八箇所霊場」のお堂が建てられている。「四国八十八箇所霊場巡り」と同じご利益を長崎で体験出来るようにと1953年(昭和28年)に長崎市内に八十八箇所のお堂が開かれたひとつで、本場四国同様に弘法大師を祭ってある。

その下にあるのがとっぽ水」。 こちらの歴史は古い。

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弘法大師が沸かせた泉』 なのだ。

弘法大師といえば、遣唐使船に乗り長崎県の松浦郡から長安を目指した四国生まれの僧「空海」(774-835)。中国から真言密教をもたらし、全国各地に伝説を残している。そのほとんどは水にまつわる話が多く、この「とっぽ水」も、弘法大師が持つ獨鈷(トッコ)から来ていると言われる。
獨鈷とは金剛杵(ヴァジュラ)という手にもって加持をする密教法具で、実はお馴染みの歌にも出てくる。
「いっぽんどっこの唄」水前寺清子の『どっこ』はコレ。1本独鈷模様の博多織の帯地文様で、男意気を唄ったもの。「ぼろは着てても~、こころの錦ぃ~♪」のあの唄だ。ちょっと話がそれたけど、その「獨鈷水」が「とっぽ水」となったようだ。弘法大師は、全国各地で、この獨鈷を使って温泉や湧き水を言いあて、様々な伝説を残している。

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この懇々と湧き出る泉は、江戸時代に長崎に来航する船乗り達の飲料水として大活躍した。つい近年まで生活用水として使用され、霊水としてもご利益があると言われていたのだが、ある日、とんでも無い事件が起こる。

とっぽ水による赤痢事件』。

1986年8月、長崎夫婦川町周辺で真性赤痢患者発生し、感染経路がこの湧き水(通称とっぽ水)である事が判明。赤痢菌検出のため使用禁止になる。その後赤痢患者は、更に増えて43人にもなった。生活汚水が混入してしまったのだろう。その後は、飲用水としての使用は禁止される事となる。

夫婦川町の由来』 。

夫婦川町』という珍しい町名も、実はこのとっぽ水が関係している。夫婦の女性の方の雌川がこのとっぽ水で、男の雄川は、春徳寺下の「斎道寺泉」で、二つの泉がある事から『夫婦川町』となったそうだ。

『1円まつり』。

とっぽ水の上に建つお堂「長崎四国八十八箇所霊場」で年に1回弘法大師まつりが開かれる。
お世話をする近所のご老人達がお菓子を沢山用意して、子供たちを待っている。子供たちが一円をお賽銭にあげてお参りをすると沢山のお菓子をもらえるのだ。その日は学校から帰ると、ビニール袋と一円を沢山握りしめて、近所の「長崎四国八十八箇所霊場」巡りをするのが楽しみだった。4月頃だと思うけど、今でもその風習は行われているようだ。

長崎四国八十八箇所霊場

り』。


上記のように、四国巡礼を出来ないような人に、長崎市内でもそのご利益があるという事で、毎年4日間をかけて巡礼する催しが行われている。白装束に身を包み、太鼓を叩きながら巡っていくのだ。今年はスタート地点となる長崎市寺町の延命寺(第22世住職:堤祐演が八十八箇所霊場を開いた)に、130人あまりが集まったそうだ。
ウチの家もその経路となっているので、家の前をその集団が通り過ぎる。とっぽ水まで歩いて5分ぐらいだろうか。
この辺りの方だと『とっぽ水』は、超メジャーなのだけど、果たしてどれぐらいの人がご存知なのかが興味あるところ。近年の『さるく』でちょっとは有名になったかな。
この記事に対するコメント
つい
またもや近場です。
今度こそ、超おもしろトピックスを取材してきますんで、こうご期待!!
【2008/05/08 03:25】 URL | ねじ #NkOZRVVI [ 編集]


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