ながさきのへそ (長崎見聞録)
★生まれ育った長崎を再発見しようと、いろんな角度から切りこんでみました。あんまり人にゃ見せんばってん、大事か「へそ」。長崎のへそば、ちょっこっとばっか、お見せしましょか^^ ≪長崎おもしろトピックス≫
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城山小学校の桜が語る平和
『あの日の惨状を忘れない』

戦前の城山小学校は、それはそれは美しい桜が校舎を取り囲み、見事に咲き誇っていたそうだ。
爆心地からわずか500mの距離にあった長崎城山小学校は、この瞬間に悲しい歴史を背負うことになる。教員26名(他に校外被爆2名)、用務員2名、児童 推計 1400余名(家庭において被爆)、兵器製作所員58名、女子挺身隊員10名、学徒報告隊員42名、計110名(200名という説あり)が死亡。

その悲しい想いを超えて今年もまた、この小学校に桜が戻ってきた。

sakura2.jpg 十五の桜

十五の桜 (写真右)
被爆前の桜に囲まれた学校の面影を胸に、卒業した年にちなんで卒業生らが同校に寄贈した十五本の桜。
被爆した友人たち、家族への思いと、学校に通う後輩たちへ平和の大切さを引き継ぎたい気持ちを込め1997年に植樹された「十五の桜」。
この桜を植えた昭和15年卒業の生徒達のクラスの担任が、私の母だった。母はその後、原爆が落ちた年に転任となり、おかげで私もかろうじてこの世に生を授かる事が出来た。

嘉代子桜(写真左)
ここ城山小学校には、もうひとつ歴史を語る桜がある。それは「嘉代子桜」。
当時長崎県立高女の4年生で、学徒報告隊員として城山小学校にて仕事をしていて爆死された林 嘉代子さん。遺体は,原爆投下から22日目の8月30日に校舎3階で見つかった。
ご両親は,嘉代子さんが生前好きであった桜の苗木を数十本寄贈して、我が娘を思う。(S.24)

今春も、桜達は見事な姿を見せてくれた。まるで時を超えてきたかのように、いつまでも平和であれと語りかける。

夏にはまた、原爆の日には、長崎で一番熱かった日を思い出させる。

1945年8月9日午前11時02分。
一瞬のうちに、この世に地獄が出現した。
長崎に原子爆弾が炸裂した瞬間だ。
当時の人口24万人(推定)のうち約14万8千人が死傷(死者約73,900人、負傷者約74,900人、消失面積6,702,300m2、全焼全壊計約12,900棟)、建物の約36%が全焼または全半壊。


爆弾のコードネームは「ファットマン」。B-29爆撃機ボックスカー(機長: チャールズ・スウィーニー少佐)によって投下され、現在の松山町の上空550mで炸裂した。

原爆投下前の浦上 原爆投下後の浦上
原爆のキノコ雲

写真は左が原爆投下前の爆心地付近(長崎市浦上地区)
右が投下後の同一地点。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

*1999年8月の日記をブログ用にリニューアル♪(追記あり)。
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