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2008.4.14〜 |
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| 隠れ切支丹教会の祈りが時を越えて聞えてくる。 |
『深堀善良谷教会へと向かう』 長崎半島を野母崎方面に向かい、深堀(前記の深堀騒動の武士の墓があるところ)の港から山道に入って行くと、山の中腹にその教会あった。 小さな集落のなかにひっそりと佇む教会。その前には夕日が沈む海の景色が広がる。 今でこそ、真下に新しい道路が通り、手軽に行けるようになったが、旧道の頃は、それは山奥の隠れ切支丹教会といった風情で、いっきにタイムスリップしそうになるような感覚になったもんだ。

次代に残す長崎の百景に選ばれたとあって、久しぶりに出かけてみると、20年前に行った時とまるで違って、舗装道路からすぐの場所で少々戸惑う。 なんというか、とても身勝手で申し訳ないが、残念な思いに囚われた。 時の流れは全てを包み込んでしまうのだろうなぁ、信者さん達には便利になった事だろうけど。
外海の隠れ切支丹7戸の住民がこの地に移り住んだのは文政6年(1823)の頃。 当時、長崎半島の入り口、深堀は長崎の所轄ではなく佐賀の鍋島藩の管轄だった。 しかし、貧乏な藩だったので、地獄の沙汰も金次第。かなりの切支丹を逃がしたらしい。いや、単にお金の問題だけでなく、もしかしたら凄烈な切支丹弾圧に心良くは思ってなかったのかもしれない。 幕府の切支丹弾圧はどんどんエスカレートし、このように、どんどん周辺へと信者達は散らばって行った。 そして、この教会のように何百年も隠れ切支丹の聖地として、ひっそりと存在しつづけてきた場所がいくつかある。
1952に現在の聖堂が再建されたそうだ。 日曜日には、下の町から神父さんもやって来てミサが開かれる。 教会の向かって右手を降りていくと、聖母を祭ったルルドがある。きちんと整備されてるが、何かしら時の重みが伝わってくるような重厚な雰囲気だ。

教会の眼下には見事な景色が広がる。外海にしても、この場所にしても、日が沈む海に神の姿を重ねてたのかもしれない。どちらも海に日が沈む。

この写真を撮りに訪れた時に、ちょうど信者さん達の井戸端会議ちゅうだったので、少しだけお話できた。 ずいぶんこの辺も変ったらしい。そりゃそうだ、私も持ってたイメージがまるで違う。 最初は場所を間違えたかと思ったもんだ。 最近は、長崎百景に選ばれた事もあって、沢山の人が訪れるようになったのだと寂しそうに話してくれた。確かに、賑やかさはココには似合わない。

教会の中をのぞくと、杖をつきながらオルガンに向かう信者の方の姿があった。 今の信者さん達は、すべてカトリックに改宗されてる子孫。一部の隠れキリシタンの方々は、密教として受け継ぐままに信仰し他の地へと移っていかれたそうだ。 すでに、神の姿は形を変え、時代とともに新たな信仰へと変って行ったらしい。
切支丹弾圧から400年経った今日も、祈りは声は途切れる事はない。
*2001.08の日記をブログ用にリニューアル♪
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