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「忠臣蔵」の赤穂浪士による討ち入りに、この深堀騒動の討ち入りが参考にされたという事を関連付ける伝説が、流島地の五島列島・久賀島に残っている。
「忠臣蔵」自体が、元禄赤穂事件を題材にした物語なのだが、その実際の事件で、赤穂47士の最後の1人(寺坂吉衛門)だけが切腹を免れている。
裏切りによる逃走なのか?大石内蔵助の密命の為に離脱したのか?は、未だに論争には決着がついてない。
この寺坂吉衛門の余生や墓についても、全国各地に伝説として残っているのだが・・・。
この久賀島にも、その弟(寺坂随天)がお寺(恵剣寺)を創建(元禄の初め)している所から縁があるとされている。寺坂随天は江戸・泉岳寺(赤穂浪士の主君である浅野家の菩提寺で、46士の墓がある)の僧であったのだが、この地にて寺を建て暮らしていた。
その伝説によると、寺坂吉衛門が流島されていた深堀の武士へお礼と報告に来たのだと記されている。しかし、その時点ではすでに深堀武士たちは、流島の罰も解け、戻ってしまっていた。その後、寺坂吉衛門は、その久賀島に残り46士の霊を弔いながら余生を暮らしたのだとか(寺坂吉衛門を入れて47士)。
【2008/04/30 00:22】
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